小山町 町長室

晴れ晴れ(町長のエッセイ)

思い出

 私は、昭和25年3月に湯船で生まれ、小学校3年生の頃、落合・宮ノ台に引っ越して、大学卒業まで住んでいました。
 通った成美小学校は、木造校舎で、「コ」の字型に校舎が並び、その中庭にグラウンドがありました。当時、日本人が好きなものは、「巨人」「大鵬」「卵焼き」と言われており、私もまったくそのとおりで、家から近かった小学校のグラウンドで、毎日のように真っ暗になって、ボールが見えなくなるまで友達と野球をやっていました。
 小山中は、1学年9クラスあり、同級生は、400人を超え、テストの順位と名前が、壁に張り出されていましたが、上位はいつも同じで、すごいなと思って見ていました。また、私は、音楽が好きだったので、吹奏楽部に入り、北駿音楽祭に出場しましたが、成績は、あまりよくありませんでした。
 その頃、町民体育大会があり、1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取った円谷幸吉選手が、ゲストとして1,500mに出場し、休みなく連続して2本走り、2本とも優勝しましたが、2本目は最初、他の選手にかなり離され、さすがにきつい表情だったことを覚えています。
 後日、円谷選手と電車で一緒になり、サインをもらいましたが、そのすぐ後、帰らぬ人になってしまい、大変残念に思っています。


 

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