続々・思い出

続々・思い出

 高校、大学時代の休みの期間中にはいろいろなアルバイトをやりました。御殿場市・小山町では、LPガスの配達の他、富士スピードウエイのジュース、ビール等の売り子やガソリンスタンドの店員、建設会社の作業員、モードショップや呉服店の店員、東京都内では、塗料配達やビル建設作業員もやりました。また、当時フォークソングがブームでしたので、友達とグループを組んで喫茶店でギターを弾きながら歌ったりもしました。きついなと感じることもありましたが、友達と一緒でしたので、楽しかった思い出となっています。そして、社会の先輩たちからいろいろな事を教えていただき、この経験が、私の人生の中で生かされていると思っています。
 また、当時は、富士スピードウエイをスタートし、一般道を走ってスピードウエイに戻り、ゴールという公道ラリーも行われており、レースの時には、スピードウエイの周辺道路には、ゼッケンをつけた多くのラリー車が走っていました。
 このラリーは、スピードを競うパリ・ダカラリーなどと違い、ポイント間を正確な時間で走ることで競われるラリーで、私は友達の車でエントリーして出場し、2回入賞しましたが、当時は、アナログの時代でしたので、車載ナビなどは無く、ドライバーと、渡された図を見ながら進む方向を指示するナビ役、そして、オフィシャル車と自車とのメーター差を計算し、適正な速度をドライバーに伝えるナビ役の3人が組んでの参加でした。私の担当は、ドライバーの後席で、その修正計算をする役でしたので、専ら専門の本を見ながらその修正数値をドライバーに伝えていました。
 外も見ずに、右に左に揺られ(多分伊豆方面)、急ブレーキ、急発進を繰り返された結果、以前は車酔いをしたことがありませんでしたが、ラリー出場後に、車酔いをする体になってしまい、それが船酔いにまで発展してしまいました。それもまた楽しい思い出になっています。