続・思い出

続・思い出

 私が通った高校は御殿場にありましたので、駿河小山駅からディーゼル機関車に乗って通学しました。部活が終わると、帰りの御殿場線は、ちょうどSLの運行時間で、デッキに出て遊びながら駿河小山駅まで戻って、歩いて宮ノ台の家に帰っていました。
 御殿場線は昭和43年に電化され、ディーゼル機関車やSLは姿を消し、今となっては、大変貴重な経験だったと思っています。
 大学は東京都内にあり、駿河小山駅から電車に乗って、松田駅で降りて小田急線に乗り換え、新宿駅でまた山手線に乗り換えて通いましたが、当時は学生運動が盛んで、授業を受けていると、ヘルメットをかぶった人達が教室になだれ込んで来て、授業がつぶされる、ということが度々ありました。 
 日本の現状と未来の在り方に対する議論が、学生を中心に、日本中で活発に行われており、それに伴い、いわゆる過激派の行動が社会問題化した時代でした。私は、学生と警察との衝突を側で眺めていた、いわゆるノンポリ学生でしたが、当時の大学生の多くは、過激な行動には移らなかったものの、日本の現状と未来について、各自の様々な考えをぶつけ合い、そこここで議論をしていました。その活力が、今日に至る日本の経済成長を導き、支えた一因なのかもしれません。