絶景の富士山が見られる観光スポット! 金太郎 生誕の地、小山町観光情報
須走口登山道の歴史は古く、江戸時代には特に多くの登山者でにぎわった。他の登山口に比べて植生が豊かで、緑に恵まれた登山道の傍らでは季節の花々や野鳥たちが登山者を楽しませてくれる。各ポイントにある山小屋は登山のペースを保つのに最適な位置にあり、子供から年配者まで安心して登ることができるのも須走口の魅力だ。また天気が良ければ肉眼で東京スカイツリー、横浜ランドマークタワー、駿河湾などを一望することができる。何より、登山道の途中どこからでも御来光を仰ぐことが出来るのが須走口の特徴であり、最高のお薦め登山口と言える。
アクセス | 車:御殿場IC~国道138号を山梨方面へ25分~須走IC降~ふじあざみライン~富士山五合目まで20分程度 バス:富士山登山バス「須走口五合目」 |
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延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した際、須走に斎場を設け、鎮火祭を斎行したところ、同年4月初申の日に噴火が収まった。大同2(807)年に祭事の跡地に神をお祀りしたことが神社の創建と伝えられる。以後人々の尊崇を集め、平成19年には御鎮座1200年記念式年大祭が斎行されたほか、記念事業の一環として宝物や富士講等の資料を展示する資料館が社務所に併設された。平成25年には、信仰の山・富士山の構成資産の1つとして、世界文化遺産に登録された。
所在地 | 駿東郡小山町須走126 Googleマップで見る |
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アクセス | 車:御殿場IC~国道138号を山梨方面へ25分程度、須走IC降後2分程度 |
公式HP | http://www.higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp/ |
境内南、太鼓橋の左に位置する滝で、浅間の杜を走る水流が流れ出て滝となっている。周囲の木々と相まって四季折々に違った景色を見ることが出来る。
表参道にある石製の大鳥居。明治33年に氏子より寄進された。扁額には「不二(二つとない)山」=「不二山・富士山」という意味の「不二山」の文字が刻まれている。
境内中央、随神門前の両脇にある狛犬。昭和初期に富士講・山三元講より寄進されたもの。
江戸期後半から大正期にかけて隆盛した庶民信仰「富士講」境内には各講社の登拝記念の石碑が数多く並んでいる。
表参道中ほどに位置する楼門。本殿とともに宝永の噴火で壊れたが、当時この地方を治めていた小田原藩主・大久保加賀守によって再建された。
裏参道の鳥居を入って右側に繁るモミの木。日本でもまれに見る奇観の根上がりをしており、学術上の価値が高いことから平成3年に小山町指定文化財に指定された。
須走は、日本野鳥の会誕生の地として知られている。その活動を顕彰するべく有志によりこの記念碑が建立された。
記念碑は、昭和天皇が皇太子時代の大正12年7月27日に須走口より登山された時に建てられたものである。
ふじあざみラインは、須走口登山の起点である冨士浅間神社と五合目を結ぶ登山道。全長11.4kmの道程は真っ直ぐに続く松並木からスタートし、古くは馬車で登ったといわれるほどに広かった須走口の面影を偲ばせる。左右の松の梢から望む富士山は日本画の様に雄大で素晴らしい。
冬季(11月~4月)は閉鎖されるが、シーズン中は登山客だけではなく、五合目周辺ハイキングなどの人々で賑わう。
富士山東裾の側火山で、標高は1979メートル。五合目の古御岳神社から入る遊歩道を歩いて20分程度で山頂に至る。山頂一帯は火山性の小石が積もり、賽の河原のような雰囲気を醸し出している。富士山頂はもちろん、山裾の雄大な景色を一望するだけでなく、コメツガ・ダケカンバなどの樹林やクルマユリ・タケシマランなどの希少な植物観察にも絶好の場所だ。
所在地 | 駿東郡小山町須走 Googleマップで見る |
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アクセス | 車:御殿場IC~国道138号を山梨方面へ25分~須走IC降~ふじあざみライン~富士山五合目まで20分程度 バス:富士登山バス「須走口五合目」 |
通常、富士山の雪解け水は地中にしみ込み、100年単位の長い時間をかけて湧出するため、富士山には川や滝が無い。しかし、須走口五合目から御殿場口方面へ20分ほどのところでは期間限定の滝がみられる。雪解けの始まる5月中旬頃から6月上旬頃、雪解け水が沢に集まり、流れ落ちることで出現する、非常に珍しい光景だ。日によって現れる場所や姿を変えることから、「まぼろしの滝」と呼ばれている。
位置 | 駿東郡小山町須走 Googleマップで見る |
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アクセス | 富士山須走口五合目より御殿場口方面へ徒歩20分ほど |
承久の変(承久3年)の時、後鳥羽上皇による北条氏討伐の企てに際し、藤原光親卿は時期尚早を上奏したが聞き入れられず、やむなく義時追討の案文を書いた。謀議はいち早く鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、鎌倉護送の途上、籠坂峠において、甲斐武田五郎信光により斬首されたという。以来須走の人々により墓所は守られ、毎年5月に慰霊祭が執り行われている。
所在地 | 駿東郡小山町須走籠坂峠 Googleマップで見る |
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アクセス | 車:御殿場IC~国道138号を山梨方面へ35分程度 |
宝永4(1707)年11月、いわゆる宝永噴火により、麓の59ケ村が砂に埋没した。当時の関東郡代伊奈半左衛門忠順が流砂工事に着手したが、飢餓のため工事は遅々として進まず、半左衛門は意を決して、駿府紺屋町の御米蔵を開き1万3千石の米を村々に分配した。これにより住民は勇気づけられ、須走では2年後に宿場を復活することが出来たが、半左衛門は開蔵の罪状を問われ免職となり、後に割腹して命を絶ったとの言い伝えが残る。北駿地区を救った功績と遺徳を偲び、慶応3(1867)年に小祠を建立、昭和32年10月に現在地へと移され、春と秋には例大祭が行われている。
所在地 | 駿東郡小山町須走71-1 Googleマップで見る |
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アクセス | 車:御殿場IC~国道138号を山梨方面へ25分程度、須走IC降後4分程度 |
シカゴ大学の名誉教授でアイヌ研究のため明治から昭和初期にかけて15回の来日を果たした人類学者フレデリック・スタールの記念碑。日本をこよなく愛した博士は、富士山に強い憧れを持ち、たびたび富士登山をした。一方で五ツ星紋の羽織、仙台平の袴に白足袋を履き、「寿多有」の納札を作って日本各地の神社・仏閣を行脚したことから「お札博士」とも言われた。1933年に日本で亡くなったが、「富士山の見える所に眠りたい」という遺言通り、愛した須走の地に納骨され、友人達や宿の主人の尽力で墓碑が建てられた。碑面の文字は徳富蘇峰の筆によるもので、博士の人望と交流の厚さを物語っている。
位置 | 駿東郡小山町須走340-17 Googleマップで見る |
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アクセス | 車:御殿場IC~国道138号を山梨方面へ25分程度、須走IC降後2分程度 |
小山町竹之下と足柄峠を結ぶ足柄峠線は金太郎富士見ラインという愛称で親しまれている。沿道にはゴルフ場や「誓いの丘」といった観光スポットもあり、名前からも見て取れるように、随所で富士山の素晴らしい眺望が得られる。隠れた夜景スポットとしても密かな人気を呼んでいる。
「金太郎富士見ライン」沿いにあり、富士山の撮影ポイントの1つに挙げられる箇所。眼前に大きくそびえる富士山に向かって思わず叫びたくなってしまう雰囲気から「誓いの丘」と名づけられた。丘に設置された「誓いの鐘」を鳴らし、ハート型のモニュメントに鍵を掛ければ、その誓いは必ず成就するという、パワースポットとしても人気。春と秋には「ダイヤモンド富士」を撮影しようと多くのカメラマンが訪れる。
昭和31年「強力伝」によって第34回直木賞作家となった新田次郎の文学碑があり、富士山を愛した作品「白い花が好きだ」の「富士の美」から引用された文章が刻まれている。令和2年11月にリニューアルし、公園内には隈健吾建築都市設計事務所設計の番傘屋根東屋・トイレが完備された。
所在地 | 駿東郡小山町竹之下3660-59 Googleマップで見る |
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アクセス | 車:小山町役場~県道365号(金太郎富士見ライン)を神奈川方面へ15分程度 |