小山町は金太郎生誕の地。
昔話で有名な金太郎についてご紹介いたします。
むかし、京都から来た八重桐という名の山姥が、中島の里に住むようになりました。
ある日の金時山中、八重桐は夢の中で、赤い龍と結ばれ、赤ん坊を宿しました。
山をおりると、白い着物一枚で滝に打たれ、お腹の赤ん坊の無事を祈りました。
月満ちた五月のある日、八重桐のお腹から、大きな産声と共に、まっ赤な体の男の子が生まれました。
赤ん坊は金太郎と名づけられ、お乳をよく飲み、丈夫に育っていきました。
金太郎の遊び場は、山や沼。屋敷のある中島から生土へおり、八重山の峰伝いに足柄峠を駆け登ると、富士山が麓から大きく見えてきます。
金太郎はここから眺める富士山が大好きでした。
山では、けものたちが待っています。クマと相撲を取ったり、けもの同士で相撲を取らせたりして遊んだあと、お母さんが持たせてくれたおにぎりをほおばりました。
日が暮れる前に、薪を取ると、峠をおります。生土まで来ると、八重桐が金太郎をいつも待っていました。
夕焼けで赤く染まった道を、ふたり手をつないで屋敷へ戻るのでした。
金太郎は大きくなってくると、八重桐も知らない遠くの山へも出掛けるようになりました。
ある時、金太郎が山から帰って来ない日がありました。崖から落ちたのか、けものに襲われたのか…八重桐は心配で、その晩も、次の日も泣いて過ごし、三日目、金太郎が無事に帰って来ると、金太郎の真っ赤な丸顔を両手ではさみ、今度は嬉し泣きしました。泣き過ぎて、目もまぶたも赤く腫れあがり、ちくちく痛みました。
金太郎は申し訳なく思い、その目を治すために、箱根の温泉へ八重桐を連れて行き、湯治をさせました。
季節が変わる頃、八重桐の目はすっかり治りました。金太郎は母に心配を掛けないように、薪取りや畑仕事に今まで以上に精を出し、体も心も大きく育っていきました。
都の武将源頼光が下総から京都へ帰る途中のこと。
足柄峠にさしかかると、不思議な赤い色をした雲を見つけました。雲を目指して山道を進むと、金太郎親子に出逢いました。
頼光の家臣は金太郎を大変気に入り、八重桐もまた金太郎を武将にしたいと思っていましたから、金太郎は頼光について都へ行くことになりました。
金太郎は、山に一人で残る母がさみしくないようにと、屋敷に山の桜を一本植えて行きました。春には花が咲いて、八重桐をなぐさめてくれることでしょう。山のけものたちにも別れを告げました。
都へ行った金太郎は、頼光の四天王の一人としてたくさんの手柄をたて、日本中にその名をとどろかせたということです。
西暦 | 元号 | 金太郎の出来事 | 金太郎の年齢 |
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956年 | 天暦10年5月 | 小山町中島で元気な産声をあげながら誕生 | 1歳 |
966年 | 康保3年 | 金時山にて熊と相撲を取り見事大勝利 | 11歳 |
柳島の沼子池で大きな緋鯉を発見し捕獲 その際に空高く跳ね上がり、後の鯉のぼりのモデルになる | |||
母の湯治のため、箱根姥子温泉に通う | |||
976年 | 天延4年3月1日 | 足柄峠で源頼光と出逢う 力量を認められて家来になる | 21歳 |
坂田公時に改名 | |||
京へのぼり、渡辺綱・ト部季武・碓井貞光らと共に頼光四天王に名を連ねた | |||
990年 | 永祚2年 | 酒呑童子を征伐 その後も全国をまわり、鬼や賊を倒してまわった | 35歳 |
賀茂の祭で初めて牛車に乗り、車酔いでフラフラになる | |||
1010年 | 寛弘7年12月15日 | 筑紫へ向かう途中、勝田(岡山県勝央町)にて、重い熱病にかかり亡くなる | 55歳 |