《全体構想》 第1章 都市概況
《全体構想》
第1章 都市概況
1.小山町の歴史
 本町は、明治以前には街道沿いの宿場町として栄え、特に小田原方面と甲州とを結ぶ物資輸送の拠点として、足柄、須走が繁栄してきました。
 近代に入ると、交通手段が鉄道の利用に比重を移し、明治22年(1889)には東海道本線、明治36年(1903)には中央線が相次いで開通したために、それまでの物資輸送の拠点としての位置づけは低くなってきました。しかし、明治31年(1898)には富士紡績が開設され、近在から就業者を集める商工業の町としての形態を備え始めました。大正元年には、現在の小山地域に小山町という町名が冠されました。
 昭和に至ると、第二次世界大戦後、昭和30,31年(1955,56)に小山町、足柄村、北郷村、須走村が合併し、現在の小山町が成立しました。また、この時期に前後して、昭和29年(1954)の須走地域への陸上自衛隊富士学校の誘致、昭和39年(1964)の東駿河湾工業整備特別地域の指定、昭和43年(1968)の国鉄駿河小山駅舎の改築、昭和44年(1969)の東名高速道路の開通など、現在の町の都市構造を規定する諸施設の立地が進みました。
 歴史を概観してみると、本町は交通の要衝の地にあるという位置づけから、時代時代の交通機関の変遷に多大な影響を受けてきた地であると言えます。徒歩による移動が主だった時代の街道の宿場町としての繁栄、鉄道に比重が移った時代の駅周辺の活性、さらに自動車交通が主流になった現代では、幹線道路である国道246号、国道138号沿道への建物立地が進んでいます。このように将来的にも交通利便性とまちづくりとは密接に結びついていくものと考えられます。さらに本町においては東名高速道路、第二東名自動車道といった国の根幹を担う高速道路が町内を通ることを、まちづくりに活かしていくことが求められています。
2.広域的位置づけ
 本町は現在においても、首都圏に近接する交通要衝の地に位置しています。自動車交通においては東名高速道路、国道246号で結ばれると共に、第二東名自動車道が計画されることで物資及び人の流動が確保され、鉄道においてはJR御殿場線と小田急小田原線の相互乗り入れにより、新宿駅に直結するなどの交通利便性を有しています。また隣接する御殿場市とは鉄道、道路とも緊密に結びついて、一体の生活圏域を形成しています。今後はこの地の利を地域の活性化に結びつけていくことが求められています。具体的には、企業の研究・開発機関の誘致、既存の観光機能の充実及び交通利便性を活かした新たな観光・レクリエーション機能の創出や連担する御殿場市との通勤・通学・流通などの交流機能の強化を図っていきます。
小山町の位置図
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