健康・福祉・教育

沿革

北郷小学校の沿革

明治7年8月15日小学精義舎開校認可
9年10月 3日木村蒙 精義舎長被仰付
14年10月 9日北郷村用沢616の1に校舎新築、村立北郷学校開校
19年7月28日村立北郷小学校となる
23年4月北郷尋常小学校となる(修業年限4年)
41年4月義務教育年限延長(5・6年加設)
大正11年4月 1日高等科併置、北郷尋常高等小学校と改称
昭和16年4月 1日国民学校令施行、北郷村国民学校と校名変更
22年4月 1日学制改革  北郷村立北郷小学校と校名変更
28年12月 4日70周年記念事業 校歌作詞作曲成る,記念植林(2町5畆)
31年8月 1日町村合併により,小山町立北郷小学校となる
37年5月30日給食室完成・完全給食実施
37年10月 9日開校80周年記念式典挙行
45年3月17日ちから山完成(PTA寄贈)
47年12月15日開校90周年記念式典挙行
48年8月24日北郷地区町民プール竣工式挙行
54年4月 5日北校舎(1,778平方メートル)給食室(255平方メートル)落成式挙行
56年3月16日用沢地区児童屋内体育施設(1,126平方メートル)落成式挙行
56年10月18日開校100周年記念式典挙行 記念誌発行・記念事業実施
57年3月20日旧北郷支所跡地北郷小学校地に含め拡張
平成元年3月11日南校舎(2,801平方メートル)落成式
3年11月 7日文部省・小山町教育委員会研究指定「勤労生産」研究発表会開催
8年7月30日教育用パソコン21台導入
10年9月24日小山町教育委員会研究指定「授業改善」授業公開開催
11年11月26日小山町教育委員会研究指定「授業改善」研究発表会開催
13年10月27日開校120周年記念式典、祝う会、フェスタ北郷開催
14・15年度 第1期小山町福祉教育実践校
18年度 体育館耐震工事完成
19年度 児童用パソコン入れ替え
20年11月21日小山町教育委員会研究指定「授業改善」研究発表会開催

 北郷の歴史は古く、4~5千年前の縄文期に人跡を留めている。以来、幾多の自然災害や騒乱に悩まされ続けながらも、人々は着実に生活の基礎を築き、現在に至っている。宝永の噴火による災害から人々を救い、郷土の復旧に尽力した伊奈半左衛門。用水を切り開き、広大な阿多野原を開拓した喜多善左衛門らの功績は、代々子孫に語り継がれている。

 地区は、用沢・一色地区を中心として、その北部の棚頭・大御神・中日向・上野地区、東部の吉久保・阿多野地区、南部の下小林地区から成っている。東西約5キロメートル、南北約10キロメートルで、面積は約43平方キロメートルである。西北から東南にやや傾斜し、西北から東南にやや傾斜し、西北方の大御神・中日向・上野方面に山岳が連なっている。最も高い所で、海抜約1,300メートルである。それより南方の用沢・一色・大胡田・上古城方面の大部分は比較的平坦である。地区のほぼ中央を流れる佐野川の水を利用し、小山町一の田園地帯を形成している。西北方の山側は畑地として、また比較的高い平坦地と小河川に侵食された細長い平坦地とを巧みに結びつけた用水網によって広大な水田が開かれ、養蚕・稲作がさかんに営まれてきた。

 近年になり、地区は急激に変化し始めている。県道・国道の整備、道の駅オープン(平成16年)、平坦な土地、広大な共有、私有林があること等により土地の開発が進み、富士霊園や自動車レース場、ゴルフ場が作られ、遠く京浜方面からの来客がある。棚頭工業団地には公害の少ない企業を誘致し、地域の雇用促進と経済的な活性化を図っている。

 町東部の平坦地に建設された町立の生涯学習センターには多くの町民が訪れ、町の文化・体育活動の中心となっている。